東京ファッションと山田
皆様こんにちは
来週富士山に登る山田です
前回、前々回とファッションについて書かせて頂きましたが、今回が総集編です
先日、WWDから面白い記事を見つけました
東京ファッションについてです
「10年前、東京のストリートファッションはもっと元気だった」
「インターネット以前は、パンクでもロリータでも自分がなりたいものに何にでもなれた。今の時代、特別になることはとても難しい。社会に同調しなければならないために、自分らしくなりたくてもできない」
「なぜ東京のストリートは面白くなくなったのか?」
「東京の若い人はどんどんファッションに対してシャイになってきているように感じる。ファッショナブルな人も今は自分の友達と同じものを着たいだけ」
「オリンピックの建設で、渋谷に行くと暗い気持ちになる。“Kawaii”はなくなって、もっと暗い色、黒とシルバーのクールな感じ。私はそれがみんなが暗い色の服を着るようになって、ヒップホップみたいなクールな音楽を聴くようになった理由の1つだと思う。ヒップホップの人気はどんどん高まっていて、みんなその影響を受けているのかも」
「今の日本の経済的、政治的環境は、若者にとって心地よいものじゃない。でも、人々をクレイジーにさせるほどカオスっていうわけでもなくて、中間にいるんだと思う。だからより安全でぬるい方に流れてしまう」
「“Kawaii”カルチャーを追いかけていた人たちが大学を卒業したり、大人になるにつれてマスなコンサバファッションに吸収されていく。しかし、さらに若い層はよりみんなと違うものを求めるようだ。今の東京のユースシーンは変化の間にあると思う」
「日本は中産階級層が広く、この層のために多くのドメスティックブランドが生まれた。でも経済が停滞し、安いファストファッションがこうしたブランドを追い出してしまった。ファストファッションにより、誰が何を買ってもまともに見えるようになり、人々はよりファッションにおいて冒険しなくなった。よりコンサバになり、新しいものやクールなものを探す努力もしなくなった。日本は島国だから、人々は限られた情報量の中で海外の思想を取り入れ、改良してきた。でもインスタグラムを開けば、リアルタイムでファッションを簡単にコピーできるようになり、日本だけでなくアジア全体を通して、人々はファッションに労力を使わなくなった。昔は注目を浴びたり、ストリートスナップを撮られるためにオシャレをしていたけど、今はストリートに行かなくてもセルフィーを撮ってもっと注目を浴びることができる」
一部抜粋ですが、とても今の東京を表しています
先日、昔から付き合いのある古着屋の方からも
SNSの普及で知ったつもりでいる若者が多いと
例えば
ボロボロのネルシャツ、ボロボロのジーンズ
「グランジが好きなんだね」
「そうなんですよ」
「カートコバーンかっこいいよね」
「カートコバーンってなんですか?」
三つボタンのジャケット、細身のスラックス
「モッズ好きなんだね」
「そうなんです」
「ザ・フーいいよね」
「なんですかそれ?」
これが当たり前に多い
以前の記事でも書いたのですが、暮らしの為、動きやすい為に服を着るならそのバックボーンを尊重しますが、お洒落になりたい、ファッションを語るなら当たり前に知っていないと駄目です
昔はSNSの普及もない、ネットの情報もほとんどない
雑誌を読み漁って自ら足を運んでお洒落になりたいという気持ちが強かったから色んな人と繋がっていろんな話を聞いてと
そこまでハングリーな人が減ってしまっている
知ったつもりでいる、勘違いしている
よく同業者で美術館行ったりする人がいる
何のためと問うと、センスを良くするためだったりとよく聞く
そこに私は何の意味もないと思ってしまう
アートとはなにか?なにがアートなのか?
絵描きの人達はその時、何を伝えたかったのか、後世に何を残したかったのか
その思想を汲み取らない限り、何も意味がないです
美容の根本には人がいます
ファッションもそうです
音楽もそうです
アートは?アートの先にも必ず人がいます
絵を残すということは、誰かに評価してもらいたい
必ず行き着く先に人がいる
人がいたから何世紀も前のものが現代文化に残っている
しかしどうだ?
服もアートも音楽も時代とともに価値観の低下に陥っている
東京ファッションが世界でナンバーワンと言われた時代は?
今、突き動かさなければ何も変化せずただただ後退して行くだろう
ファッションがすきで、音楽がすきで、アートがすきで、髪がすきで
どんな小さな組織からでもいい
変化をもたらして、奮い立たせて、突き抜けるのはいつどんな時でも自分だと信じている
Elme 山田