デビッド・ボウイと山田〜グラムロック〜
こんにちは山田です
夏といえば一夏のアバンチュール
僕はいつでもアバンチュールと言ったら女の子にビンタされたことがあります
はい
今日も始まる山田のファッションカルチャー♪
さて♪今日は♪
グラムロック
グラムロックとはなんぞやって
昨年、死没してしまったデビッド・ボウイは皆さんご存知でしょうか?
そのデビッド・ボウイが最も有名とされるグラムロックの先駆者なのです。
それでは
グラムロックは、主にイギリスで1970年代前半から中盤にかけて流行した、ロック・スタイル。
由来は、魅惑的であることを意味する英語の”glamorous”から来ている。
日本のロックやファッションシーンにも影響を与えた。
とウィキペディアには記述されていますね。
ファッションの一つのジャンルでもあります。
本国日本ではあまり馴染みがありませんが、コレクションやショーなどではよく使われたりします。
ピタピタのスキニーにヒールブーツ、煌びやかなジャケットというスタイルです。
パッと聴いただけだとヘンテコなジェンダー的な要素が入ってると思われますが、デビッド・ボウイはその端正なルックスと衣装で世間を虜にしました。
デビッド・ボウイって?
1947年1月8日生まれ。本名はデヴィッド・ロバート・ジョーンズ(David Robert Hayward-Jones)。
ロンドン南部ブリクストンの出身。
当時の彼の、赤くとんがった頭髪に眉毛を剃って、青いカラー・コンタクトを入れ、紅を塗った顔、歌舞伎を思わせるような東洋的な衣装というルックスは、若い女の子のハートをいとも簡単にかっさらった。「男なのか、女なのか分からない」というのは、60年代初頭に、ビートルズもストーンズも言われた事だったが、ボウイの場合本当に分からなかった。それどころか地球人なのか宇宙人なのかも分からないといった感じだった。それは彼の生まれながらに持っていた両性的な魅力と、その魅力を最大限に活かす為に練られた緻密な計画による賜物であった。
そして最も有名なのは1972年から73年にかけてのグラムロックのスターとしての活躍であるが、その後もアメリカでジョージ・オーウェルの小説を元にアルバムを制作したり、ジョン・レノンとシングルを共作したり、フランク・シナトラに「オカマ野郎」と言われたり、薬物中毒に苛まれながら「ソウルのこもっていないソウル・ミュージック」を模索したり、その薬物中毒を治すために行ったベルリンで、ジャーマン・ロックを取り入れた実験的なアルバムを作成したり、帰ってきたと思ったら超ポップな曲を大ヒットさせて昔からのファンに疎まれたり、『戦場のメリークリスマス』に出てみたり、突然質素なバンドを組んでコケてみたり、猟奇殺人をテーマにしたダークなアルバムで再度切れ味を見せたり、とても年齢相応に見えない超絶イケメンな姿で来日したりした。これが2004年までのこと。
しかしその来日を含む世界ツアーの最中に心臓病を患い、残りの公演をキャンセルして緊急入院する。それ以来ボウイは創作活動に消極的になってしまい、2006年にデヴィッド・ギルモアやアリシア・キーズのライブにゲスト出演した以外、表立った活動をしなくなってしまった。
彼を知る多くの人物から「彼は音楽活動への関心を失っている」という証言が相次ぎこのまま引退かと囁かれていた中、2013年の66才の誕生日に突如新作『ザ・ネクスト・デイ』を3月に発売することを発表。『リアリティ』以来実に10年ぶり、通算30作目となるスタジオ・アルバムで復帰を果たす。
その後、ベスト・アルバム『ナッシング・ハズ・チェンジド』を発表するなど復帰は順調かと思われていたが、2016年1月10日に癌により死去した。享年69。2日前の誕生日にアルバム『★』(ブラックスター)を発表した矢先であった。
日本との関係
ボウイを語る上で外せないのが日本文化への傾向である。ボウイは60年代にロンドンで舞踏家のリンゼイ・ケンプからレッスンを受けており、そこで彼から歌舞伎や能などの文化を教わったことがきっかけとされる。
そのため日本が高度経済成長を迎えたばかりで大規模な音楽市場とは言えなかった70年代当時から、表現にあらゆる日本文化の要素を取り入れていた。
とりわけ『ジギー・スターダスト』や『アラジン・セイン』に代表されるグラムロック期の衣装やメイク、キャラ作りにも顕著に現れている。日本人デザイナーの山本寛斎が手掛けた歌舞伎を彷彿とさせる衣装を着用し、歌舞伎役者の五代目坂東玉三郎に女型の化粧を教わったこともあるという。また中性的で妖艶な振る舞いや、曲中の早変わりパフォーマンスなどにも歌舞伎の影響が見て取れる。
名盤『Heroes』のジャケットは日本人写真家の鋤田正義が撮影したものであり、また真偽の程は定かではないが、『アラジン・セイン』の稲妻はナショナルの炊飯器に付いていたマークに着想を得たという説もある。
京都に別荘を所持しており、1980年前後には数ヶ月滞在していた。「行きつけの京都の喫茶店でボウイが世界的なスターであることを知らない女子高生の英語の宿題を手伝ってあげた」という真偽不明のエピソードも存在する。この頃撮影された写真は必見。
P-MODELのライブにボウイが一般客として訪れており、ライブ終了後楽屋にやって来たというエピソードが平沢進の口から語られた。平沢進はギターの裏にサインをしてもらったとのこと。
音楽的には全く違うが、今のヴィジュアル系や、マリリン・マンソンの元祖だ。
俗に言う日本でのヴィジュアル系は見た目を売りにしてることが多い。
勿論それが全てではないが、これだけは唯一言えることがある。
今も昔も、ルックスで一番売れたのはデビッド・ボウイだ。
私もそんな彼みたくルックスで売れたいです。。。