JOURNAL

愛と平和と山田〜ヒッピー〜

こんにちは山田です!

 

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夏が呼んでると天からの日差しから伝わりますが、誰もお前を呼んでないとリアルでは言われます。

 

 

今日はヒッピー文化について触れていきたいと思います

 

 

 

ヒッピーとはなんぞやだったり、少し前に流行した70年代風のファッションをもう少し深く掘り下げます。

 

 

実際70年代風ファッションが流行ってるから〜っていうのは私自身あまり関心が持てません。

 

 

はいそれでは!!

 

 

 

ヒッピーという言葉は、どこかで耳や目にはしていても、またなんとなくイメージすることはできても、本来のヒッピーがどんな目的を持ち、どんな活動をしていたかを知る人は多くありません。また、「自分はヒッピーだ」とカムアウトしている多くもまたはありません。

しかしヒッピー文化は、現在急激にその名が知名度を上げている「バックパッカー」と切っても切れないつながりを持っています。その関係上、ヒッピー文化に対して新鮮な興味を向ける人が現れています。

 

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ヒッピーとは

ウィキペディアによると、ヒッピーとは「伝統・制度などの既成の価値観に縛られた人間生活を否定することを信条とし、また、文明以前の野生生活への回帰を提唱する人々の総称」だとあります。何やら難しい表現ですが、簡単にすると、「現代社会のルール」に反抗して「ノールール」を求める人の呼称といえます。

この考え方のきっかけとなったのは「ベトナム戦争」。正しい戦争というものが存在するかどうかは分かりませんが、ベトナム戦争は「正義なき戦い」と呼ばれ、多くの若いアメリカ人が「愛」と平和」と「戦争反対」の旗を掲げて、社会が求めるあらゆる「ルール」に反抗したのです。

その行動は、「徴兵拒否」という直接的なものだけでなく、「薬物の使用」や「東洋思想の悟り」によって「精神的な解放」を求め、各地でグループ化して共同体「コミューン」を形成し、全米へ、そして全世界へと広がっていきました。

マスコミュニケーションがワールドワイド化した時代とも重なり、その頒布のスピードは驚くほど早かったものの、ベトナム戦争が終わり、薬物取締りが厳しくなると、その勢いは急激に衰えました。

現在も世界中にヒッピーはかなりの数がいるものの、過激な傾向は減り、思想よりも文化的な存在としての存在色が濃くなっています。

 

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ヒッピー文化とは

ヒッピーたちが当初目指したのは、「Back to Nature」。「文明以前の野生生活」が理想でしたが、かといって洞穴に住み、狩猟で生活していたわけではありません。

一部はコミューンを形成して自給自足に近い生活をし、また一部は精神的な自由を求めて放浪を続けました。

また、「自然」・「愛」・「平和」・「セックス」・「自由」がヒッピー文化の中心であり、自然への回帰を求めて自然保護活動へと導かれたグループもあります。「フリーセックス」や「薬物によるトランス」を推奨するグループも生まれました。「反体制」の部分が強調されたグループも存在しています。

そんな枝分かれしていったヒッピー文化の中に、東洋的精神的聖地の集まる「シルクロード」への巡礼というスタイルも生まれました。

 

ヒッピーたちは旅の目的に「自然回帰」・「反体制」・「自由」・「トランス」などを掲げ、低予算でそれらの目的にかなう場所としてシルクロード地域を旅先に選びました。それまで、外国人旅行者といえば、探検家かビジネスマンか、ごく一部のリゾートを訪れるセレブに限られていましたが、ヒッピーたちが通り過ぎたあとには、低予算の旅人の受け皿が作られていったのです。

 

今もアメリカやヨーロッパを中心にヒッピーのコミューンが存在し、自然保護や反体制活動などを含めたヒッピー文化を受けついでいます。しかし、ヒッピー誕生当時のような退廃的だったり強行的な活動を行うヒッピーは多くありません。

それでも、ヒッピーは世界に一つの文化として根をおろし、音楽や映画などの芸術や、宗教にも似た思想として存在感を持ち続けています。分かりやすい例ではヒッピーファッションもその一つでしょう。しかし、現在はもう大きな流行や活動には結びついていません。

ヒッピーにとって旅は現実社会からの脱出方法であり、非文明の中で生活する方法の一つでした。

 

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70年代に入ろうとするかの時期にヒッピーは長い髪を切って、もともとあった社会の一員と戻ります。

その背景にはさまざまな理由があるでしょうが、一つには反戦運動や学生運動が過激化した点、ヒッピーがカルト集団化して事件も起こります。「戦場のピアニスト」で有名なロマンポランスキー監督の妻で女優の、シャロン・テートを殺害する事件も起こります。彼女は殺害された当時妊娠していました。

ヒッピーの活動でベトナム戦争は止められなかった点、ヒッピーを引っ張っていたミュージシャンのジャニス・チョップリン、ジミ・ヘンドリックスがドラッグ中毒で死んでいくといったことも一員に上げられるでしょう。

このように理想とはかけ離れていった世界が、ヒッピーの終焉へと導きます。

 

 

このような背景の中で、ファッションは自らのイデオロギーを表現するものとして定着してゆきます。

メインで取り入れられるのはTシャツ、ジーンズやフォークロアなど。ジーンズはもともと作業着等に使用されてきましたが、ヒッピーや反戦を唱えるフォークシンガーが着用し、若者の文化に定着していきます。

フォークロア・ファッションは60年代半ばから広まっていました。フォークロアとは、民俗風習、部族の衣装の特徴を用いたファッションで、インド、アフリカ、東欧、中近東系の衣装やアクセサリーのスタイル・要素が取り入れられます。(70年代、ケンゾーがハイファッションの世界でもフォークロアやエスニックファッションを取り上げます。)

代表的なスタイルは長髪にヒゲをはやし、刺繍の入ったカフタン、バンダナ、スカーフなどになります。カラーは花柄やカラフルで、様々なカラーを混ぜた混沌とした色が使用されました。

また意図的に「服を着ない」というスタイルもでてきました。男性はもちろん、女性でさえも裸になることもありました。ボディペインティングも同時に出てきます。

 

 

これがザックリしたヒッピー文化とファッションですね

 

 

愛と平和

 

LOVE&PEACE

 

 

山田とヒッピー

 

 

YAMADA&hippie

 

 

私もいつかYAMADA文化と言われたいです。

 

 

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