JOURNAL

山田の日々ロック!!

こんにちは山田です。

 

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前回はテッズについて触れましたね。

 

今回は50’s〜60’s前期についてお話しします。

 

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ファッションと大きく関係のある音楽、ロックが生まれたのは戦後。

 

ロックが世界中に知れ渡ったのは1955年の映画「暴力教室」タイトルバックに使われたビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」と言われています。そして、それから間もなく登場するのがエルヴィス・プレスリーです。

 

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ビートの聞いたサウンドはエルヴィス・プレスリーの名前とともに瞬く間に世に広がっていきます。このようなロックの愛好者たちのことはビート二クス(ビート族)と呼ばれるようになりました。

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そのプレスリーのスタイル、黒の革のジャンパー、リーゼントがビート二クスファッションとしてロックとともに広がりました。

 

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またプレスリー以外にも影響を与えたのがジェームズ・ディーンです。ジーンズに革ジャン、Tシャツのスタイルもここから広がっていきます。

 

しかしこれはまだ、先駆け的なものであり、ジーンズの本格的な登場は60年代後半になってからでした。

 

■ハイ・ファッションでのビートニクス

 

ハイファッションの世界では当時クリスチャン・ディオールのデザイナーだったイヴ・サンローランが60年に革のスーツ、コート、タートルネックを黒で統一して、ビート二クス風のファッションを提案しますが、これはすこぶる評判が悪いものでした。

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当時のオートクチュールの葉世界ではストリートファッションの影響など許されるものではなかったのです。
1955年に発表された石原慎太郎『太陽の季節』が芥川賞を受賞し、映画化されヒットしました。ブームを生み出します。戦後の無軌道で不道徳(と言われていた)な若者の姿が描かれていました。「太陽の季節」では戦後の無軌道で不道徳な若者の姿が描かれていました。

画が封切られると、その登場人物たちのファッションスタイルを真似た若者達が多く見られるようになり、一種のつっぱりが誕生します。彼らは「太陽族」と呼ばれるようになります。そのファッションの特徴はスポーツ刈りの前髪を短く刈りそろえないで額に垂らしておく髪型、Tシャツ、アロハシャツ、サングラスというものでした。

 

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60年代は、ユースカルチャーがハイファッションの世界にも取り入れられる象徴的な時代です。

流行を作っていたオートクチュールのパターンが変化しだしました。ファッション産業はアメリカに代表される広範囲な消費者層を相手にする既製服産業への路線を歩んでいきました。

プレタポルテという新しいファッションの仕組みが登場しました。
この時代に変化を生み出したのは既製服を着る若者の文化でした。モッズ、ミニスカート、ヒッピーファッションなど、オートクチュールから降りてくるファッションではなく、若者が自身でファッションを選び、ファッションによりアイデンティティを示しはじめました

ストリートから一つのファッションのムーブメントが生まれたのです。

 

これは現代でも同じです。

 

いつの時代でも先駆けるのはストリートです。

 

 

僕自身ストリートをこよなく愛してストリートで生まれストリートで育ちストリートに揉まれてきました。

 

いつかストリートのカリスマになるその日まで。。。

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